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原爆忌

今年は広島と長崎に原子爆弾が投下されてから70周年を迎える。

原爆の投下について、日本人の間では、投下しなくても日本は降伏していただろうから、不必要に一般人を殺傷した、という意見が根強い。一方で投下した側のアメリカでは、投下によって日本の降伏が早まった必要悪だった、とする意見が圧倒的に多い。中国や韓国といった国では、日本が悪いことをしたのだから、原爆はその報いなのだ、とする意見が多いようだ。

原爆投下に意義はあったのか?そもそも、事実の積み重ねに過ぎない歴史に対して意義を見いだすのは後世の人間なのだから、意義の有無を議論しても仕方ないのかもしれない。それでも「もしヒロシマ・ナガサキの原爆投下に意義があるならば」という仮定を元に、4つの意義を述べたい。

第1にアメリカ人の命を救ったことである。
アメリカが日本の原爆投下について何ら良心の呵責を感じていないことにも、私は納得できないが理解は出来る。彼らにしてみれば、ヒロシマ・ナガサキの30万人の民間人の命よりも、アメリカ人1人の命の方が余程大切なのである。それが戦争というものでもあるし、黄色人種に対する差別意識もあるのかもしれない。彼らにしてみれば、殺虫剤で無辜のゴキブリを何匹殺そうが、自分たちが安楽に過ごせる方が良いのである。そのことに関して、私は共感は全くしないものの、諦めに近い理解を得ている。

第2に、日本の終戦を早めたと考えられることである。
昭和天皇の言動で、天皇が日本降伏を決めたのが長崎の原爆投下ではなくソ連軍による満州侵攻が直接のきっかけであった、というのも事実である。
(「ご聖断」ソ連参戦で決意 報告の18分後「終戦」側近に指示 公表の「実録」時系列から判明--産経新聞--)
一方で、玉音放送で
「加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル」
(それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。…個人による現代語訳)
と述べていることから、原爆をアメリカが発明し、日本に投下したことが、非常に大きな影響を与えたことは想像に難くない。3月の東京大空襲でアメリカ空軍は300機のB29を動員した。それと同規模の爆撃を、たった1機のB29による原爆投下で可能にしたのである。日本の防空を考えれば、更なる原爆投下を防ぐことは不可能だった。

第3に戦後の日本を資本主義国陣営に入れたことである。
先に述べたように、昭和天皇が終戦を決意した直接のきっかけはソ連軍による満州侵攻であったことが2014年に明かされた。しかしそのことが公開される前は、原爆投下の影響が非常に大きかったとされていた。戦後の日本は(北方領土と樺太を除き)アメリカが中心になって統治することになった。結果論であるが、日本が分断国家にも社会主義国家にもならなかったことは幸運だった。ソ連で粛清された人数や、東側諸国で政治犯として処刑された人数、中国の文化大革命で餓死した人数を考えれば、もし日本が社会主義国家になっていたら原爆投下よりも多くの人が政治的に殺されていた可能性が高い。

第4に多くの世界人類を救ったことである。
もし広島と長崎に原爆が投下されていなかったらどうなっていたか。史実では朝鮮戦争の際にマッカーサーが、満州への原爆投下を提案し、トルーマン大統領によって却下されている。却下された理由は分からない。しかし、原爆投下による惨状をアメリカ人が目の当たりにしたこと、原爆による惨状が世界に宣伝され反核兵器の国際世論が沸いていたことが理由ではないかと考えている。
もし日本に原爆が投下されていなかったとしたら、アメリカが威力も確認していない未使用の兵器利用を躊躇う理由は無くなる。量産され、更に威力も増した核兵器が世界各地に投下され、広島・長崎以上の犠牲者を生んでいたことも十分に考えられる。従って、広島・長崎の原爆投下は、世界人類の命を救ったことになる。見方を変えれば、広島・長崎の尊い犠牲を無駄にしないためにも、私達は核兵器が人の上で三度使用されないように知恵を絞らねばならない。

このようなことを書くと「原爆投下を肯定するのか」と批判されるかもしれない。また、「if」の存在しない歴史に対して、仮定で物事を語るのは相応しくないかもしれない。
しかし、原爆投下は無意味であった、と言うのは原爆の犠牲者は犬死にであったと言うのに等しい、私は考えている。逆に、原爆の犠牲者は決して無駄ではなかったと私は信じたい。そのためには、実に悲しく腹立たしいことであるが、原爆投下にも意義があったと考える、または意義を見いだし、その意義が失われないようにせねばならない。
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イスラム国拉致二論

「日本特殊」論


シリアで武器を扱う商人である湯川春菜さんと、ジャーナリストの後藤健二さんが、イスラム過激派の「イスラム国」に拘束されている。一部の日本人の行動がピックアップされているとはいえ、これに対する日本人の反応は、世界的に極めて例外的な反応だと思う。

まず、イスラム国(ISlS)のメンバーが
「日本人が同胞を救うために政府に圧力を掛ける時間は72時間しか残されていない」
とアナウンスしたところ、インターネットで見る限り大多数の市井の反応は
「危険を承知でシリアに行ったのだから、自己責任だろう。」
という非常に冷淡なものであった。

更に、日本人2人が拘束されている様子が写真で公開されたが、その写真が、どうも別々の写真を組み合わせたもののようだ、となってからは
「#ISISクソコラグランプリ」
と、テロリストと人質たちを茶化すような画像がTwitter上に溢れ、あまつさえ、その画像をイスラム国のメンバーに送りつけるような行動を起こす者が現れた。これには賛否あるものの、偉い人(政治家たち)はたいてい、テロリストを刺激するので控えるように、と訴えている。不謹慎とは思いながらも、私もこのコラ画像を見て笑わせてもらった。

しまいには、殺害の連絡があった湯川さんの父親が
「日本国民と政府は救出のために尽力して頂き感謝し、迷惑をかけたことをお詫びします」
と述べたことである。
日本人としては、自分の家族がそうなっても記者会見ではそのように言うだろうな、と思う。また2004年にイラクで日本人3人が誘拐された時も「自己責任」という言葉が沸き起こり、誘拐"された"側とその家族に対するバッシングが起こった。家族が、状況に対して文句を言わなかったのは2004年の経験も当然記憶していたからだろう。

私はこれら日本人の反応に対して、良い、悪いの区別はつかない。ただ、日本人の感性ってやっぱり世界基準から少しずれているんだな、と再認識次第である。

「自己責任」論


誘拐犯、特に海外の組織的な政治的な誘拐犯の要求に応えることは、一層の誘拐・拉致を招く恐れがある。だから誘拐犯の要求に応じてはならない、という理屈は、米英などではそれなりに合意を得られている。

だから、ここでは純粋に
「自己責任」
についての考察を述べてみたい。

2004年の「イラク日本人人質事件」、更にはその数年後には日本人が実際に首をナイフで斬殺された「イラク日本人青年殺害事件」もあった。(数年違いと思っていたのだが、今調べてみたら、両者は僅か半年しか違わなかった)その都度、「好き好んで危険な場所に行ったんでしょ?」と「自己責任」という言葉が現れた。一方で、それに対する反論も現れた。昨年辺り、アルジェリアで海外支店の日本人が拉致された「アルジェリア人質事件」は、あまり「自己責任」という言葉は出てこなかったように思う。(事件名はいずれもWikipedia参照)

イスラム圏での誘拐事件に限らず、冬山で遭難した人や太平洋にヨットで漕ぎ出し遭難した辛坊治郎氏に対しても、「自己責任」の言葉が出ることがある。

「自己責任」を唱える人の主張をまとめると
「自ら志願して危険な地域に行ったのだから、誘拐されても政府からの救助を期待するのは間違っている」
となる。これを、より広義に意味づけるとしたら
「同じような事件であっても、そこに巻き込まれる状況によって、公的機関の対応は変えるべきである」
となるだろう。
はたしてその主張は正しいのか?
以下、様々なケースを考えて、「自己責任」論が正しいのか、誘拐犯の要求を満たすのが正しいのかを検討してみた。

例えば今回の誘拐事件に対しても、現地の人とろくに会話も出来ないのに武器商人のようなことをした湯川さんに対しては「自己責任」という主張が起こり、逆に「危険な場所に行くのだから、自己責任です」と自ら語っていた、ジャーナリストの後藤さんに対しては「彼は助かって欲しい」という意見が多く見られる。

では、日本企業の社員が外国で誘拐された時は「自己責任」にはならないのか?一説には、彼らは日の丸を背負い、日本人のイメージアップに貢献した人達だから良いのだという。しかし彼らだって会社から給料(多分、危険地手当なんかも含めて)をもらっていて、自ら志願して外国で働いているのである。フリーランスの人間が事件に巻き込まれたら「自己責任」で、国際企業の社員が巻き込まれたらそうではなくなるのか?

もしこれが、日本企業よりも、更にはっきりと日の丸を背負っている自衛隊員が事件に巻き込まれたら?自衛隊員だって、志願して危険な地域に派遣されているはずである。逆に、自衛隊員の海外派遣が志願制でなかったら、私は自衛隊を尊敬できない。自衛隊員が任務中にテロリストに誘拐されても「自己責任」になるのか?更には、例えば自衛隊員が任務時間外に「いかがわしい場所」に行って、そこで事件に巻き込まれたら自己責任になるのか?

事件は危険地に限らない。「在ペルー日本大使公邸占拠事件」や「よど号ハイジャック事件」や「ダッカ日航機ハイジャック事件」のように、危険性が低いと思っても事件の人質になってしまう場合もある。これも「ハイジャックの危険性の高い飛行機ではなく新幹線で移動すべきだった」と言えるのだろうか?朝鮮民主主義人民共和国による拉致事件だって、「朝鮮に近い日本海側に居住していたのが悪かった」などと言えるのだろうか?逆に、これらの人々が事件に巻き込まれたのは自己責任ではないから、政府はありとあらゆる手段を使って、更には相手の主張を全て受け入れてでも、人質を救出すべきなのだろうか?

日本人が犯人で、日本で誘拐事件を起こすと、個人に対する身代金要求しか行わないのが普通だと思う。誘拐事件、立てこもり事件に対しては警察や特殊部隊が事件解決に全力を尽くす。しかし、もし誘拐犯が
「政府が200億円を用意しろ」
とか
「自衛隊はイラクから撤退しろ」
などと要求したら、政府が身代金を建て替えたり、政策を変える必要はあるのだろうか?日本人が誘拐犯ならばそんな要求を一笑に付してしまうのに、海外の事件だとそれが急に真剣味を帯びるのはなぜだろうか?

このようにウダウダと事件を考えていって、私は以下のような結論に落ち着いた。
危険地域で事件に巻き込まれた彼らには、それなりに「自己責任」が伴う。しかし自己責任の有無は、はっきりと線引きできるものではない。責任の有無よって政府(公的機関)が対応を変えずに人質救出に全力を尽くす必要がある。一方で、自己責任の有無に関わらずテロリストの要求にどこまで応じるかは、結局は交渉次第になる、と。

白票

選挙期間のインターネット活動の制限が緩和されて、今回が2回目の総選挙になると思う。色々と素性の知れない怪しげなサイトも散見される。

10歳児が、今回の衆議院解散に疑問を抱いた、として
どうして解散するんですか?
では、10歳児にしてはあまりに出来が良すぎるので疑念の声が上がった。その結果、サイトを作ったのは20歳児(自身の身分を偽ることの影響の大きさを理解できない精神年齢の幼さから、このような表現が適切であろう)であることが判明した。

さよなら安倍政権
というサイトでは、嫌らしく目をキラキラさせたキャラクターが描かれ、自民党の候補者を落選させるための指南をしている。

黙ってないで、NO!と言おう。| 日本未来ネットワーク
というサイトでは、適切な候補者がいなかったら白票を投じよう、と呼び掛けている。

僅か2週間の公示期間に、こんなにも沢山の選挙関連のサイトが作られている。実に芳しいサイトばかりだが、一方で極論ぎみのことを訴えて、周囲の関心を得て影響力を持たせる手法は見事かもしれない。

投票したい相手がいなかったら、白票を投じる。これは投票に行かないよりは良い。批判票としては「将来脅威になるかもしれない」と伝えられるかもしれない。棄権してしまったら脅威にすらならない。しかし、結果的には棄権とやっていることは変わらない。より効果的なのは対立候補に投票して、批判相手を落選させることである。更に良いのは、自分から積極的に誰かを支持する、あるいは自分が出てしまうことである。

要は
①支持候補への積極的な投票、自ら出馬を行う
②落選させたい候補者がいれば、自分の中での評価がわずかでも優れている対立候補への消極的な投票を行う
③いずれも同じように支持できなければ白票を投じる
④棄権
という順に優れた行動、ということになる。

基本的に、選挙権を持っている日本人ならば、多少年齢のタイムラグがあるとしても(選挙権は20歳、被選挙権は25歳や30歳)、被選挙権は得られるのである。私自身は選挙に出るほどの能力も無ければ労力も惜しい人間なので、毎回10日間ほど考え抜き、1番マシな人に投票することにしている。

Firefoxアドオン・設定お勧め

最近、Firfoxが「自由なOS」として宣伝しているが、自由など難しいことは分からない。
私はFirefoxを10年位使い続けている。それは単に便利だからだ。
もともとは、Internet Explorerのデフォルトの文字があまりに小さすぎて、文字の大きさを自由に変えられることからFirefoxを選んでいた。最近は、様々なアドオンや設定変更ができることが魅力でFirefoxを使用している。

知人にFirefoxのおすすめの設定を送ったので、ついでに備忘録も兼ねて、現在主に使用しているアドオン、設定変更を書き残しておく。リンクを貼るのも面倒くさいので、もしこの文章を読んで、魅力的に感じるアドオンがあったら検索して見つけてほしい。

まず下3つは英語論文を読む上で、とても役に立つ。
「SearchWP」で、キーワードを色付けすると、どの辺りを重点的に読めば良いのかすぐ分かる。
また、「Wiktionary and Google Translate」は一般的な英単語の和訳、「ライフサイエンス辞書ツール」は、生命科学関連の英単語を瞬時に調べられる。このお陰で、英文を読むのが、だいぶ楽になった。

・SearchWP
 検索単語を色付けできる

・Wiktionary and Google Translate
 ダブルクリックなどで英語を翻訳できる

・ライフサイエンス辞書ツール
 生命科学関連の英語を翻訳できる

次は、Firefoxの初期設定で不便に感じた箇所を直せるアドオン。
・Restore Open_External
 外部ソフト(例えば秀丸エディタとか)でURLをクリックした時、普通だと元のページでリンクが開かれてしまうが、
 このアドインを使うと、外部ソフトからのURLをクリックするたび、新たなタブにページが開かれる

・Searchbar Autocomplete Order
 右上の検索バーはデフォルトだとアルファベット順に並んでいるが
 このアドオンを入れると、検索履歴の順に並び替えられる

ここから下は、興味があれば入れてみるのも良い。
・FireGestures
 マウスジェスチャ。

・Google Image Search
 画像を右クリックして、画像検索できる。

・User Agent Switcher
 Ubuntuを使用していると、映像やサイトが見られないことがある。
 (AU mailとかGYAO!とか)
 AU mailやGYAO!が閲覧可能なOSを不必要に限定する必要はなく、仕様の改定を求めたいところだが、
 それらが改まるまではブラウザ側で対処する必要がある。

 「User Agent Switcher」をしていると、UbuntuのFirefoxを使っているにも関わらず、 あたかもWindowsからInternet Explorerを使っているかのように相手に情報を送るため、 これらのサイトも視聴できるようになる。

逆にブラウザの設定をいじるだけでページを問題なく見られるのだったら、どうしてページを閲覧するときのOSに不必要な制限を設けているのだろうか?という疑問が湧いてくる。
訂正:AU mailにUbuntuからでもログイン出来るようになっていました。AUの中の人、設定変更有り難うございます。

あと、about:configの設定で以下のように変更している。
・Firefox about:config
-browser.tabs.loadDivertedInBackground:true(新しいページを常にバックグラウンドタブで開くことが可能。Jane styleなどの外部ソフト使用時に便利)
-browser.link.open_newwindow:1(全てのリンクを同一タグで開く)
-browser.altClickSave:true(Alt+クリックでリンク先を保存)
-browser.tabs.loadDivertedInBackgroundをtrueに変更(新しいページを常にバックグラウンドタブで開くことが可能。Jane styleなどの外部ソフト使用時に便利)
-browser.link.open_external:3(外部アプリケーションのアドレスをクリックした際に、新しいウィンドウを開かない。新しく作成)

御嶽山にみる阿呆な意見

2年5ヶ月ぶりにブログに書いてみる。

5日くらい前に(土曜日だったかな?)御嶽山という長野と岐阜の県境にある山が突然噴火した。先ほどのニュースを見たら死亡者48人となり、戦後最悪だった雲仙普賢岳火砕流の死亡者数を越えてしまった。住民居住区でもない御嶽山山頂の噴火がこれだけの死亡者を生んでしまったのは、紅葉シーズンの土曜日の日中だった、という、丁度山頂に人が集まっている条件が重なってしまったためである。

被害者の中にはまだ若い方も大勢いた。本当に気の毒なことだと思う。
初日の時は、助かった人のインタビューしか見ていなかったので、それほど大変なこととは思わなかったが、続々と伝えられる惨状を聞くにつけ、噴火の恐ろしさを実感した。後になって被害が明らかになるのは、東日本大震災もセウォル号沈没事故、広島土砂災害にも共通している。

そんな中、御嶽山噴火について、私が阿呆だと感じた意見を3つ見たので、書きたい。もっとも、顔を出して意見を表明するのは非常に勇気がいることなので、そのことを私は尊敬している。また、当然人間は万能ではないので、誤解に基づく主張も行われるだろう。
しかし
「ちょっと調べれば分かること」
「素人の自分でも分かること」
にもかかわらず、特定の政治主張を抱いた人間の目によるフィルタがかかると、こうも曲解してしまうのか、痛々しく思ってしまう。また、日頃ジャーナリストや政治家として尊敬を受けている人達も、専門分野以外に関しては素人並みの見識を持っていない可能性がある、ということを再認識する次第だった。自分も他山の石として気をつけねばならない。

まず1人目が江川紹子氏。
彼女はオウム真理教が有名になる前からオウム真理教が関わる事件を取り上げ、オウム真理教から命を狙われたジャーナリストである。彼女は人権派、反戦平和の政治的信念を持っているようである。(※Wikipediaであるが、江川氏の言動を見て、簡単に人権派、反戦平和に分類できる訳ではないと分かった)Twitterで
「なぜ、御嶽山に自衛隊派遣なんだろ…。人が必要なら、むしろ警視庁や富山県警の機動隊や山岳警備隊の応援派遣をした方がよさそうな気もするが…。」
と唱え、それに対して、軍事評論家から
[「火砕流に巻き込まれても平気な装甲車両を持っているのは、自衛隊だけだからじゃないかな。雲仙普賢岳では活躍しましたよ。」]
と反応されたが、
「装甲車や戦車は、火砕流には勝てません。」
と返した。
彼女は災害派遣に対する自衛隊の活用に懐疑的なのだ、と私は推測する。
正直なところ、私は江川氏ほども深く考えずに
「災害で大変なんだから自衛隊を出さないと」
と考えていた。軍事評論家の、火砕流に耐えうる車両として装甲車を使う、というのを聞いて、
「なるほど。確かに普通の車や生身の人間よりも、装甲車(戦車?)の方が強そうだ」
と思った。一方で江川氏はなおも装甲車を使用しても意味はない、という考えをなかなか改めようとしなかった。

一方で自衛隊の活用を積極的に唱える中にも無茶なことを唱える人がいる。
西村慎吾氏は、尖閣諸島に無断上陸するなど、色々と物議を醸した保守派の国会議員である。当然自衛隊をもっと活用すべきと唱える。

> 昨夜と本日にかけて御嶽山には多くの「心肺停止の人」が頂上付近に横たわっているのに、「捜索・> 救出は中断する」という状態がたびたびあった。
> 私が疑問に思ったのは、如何なる能力を持った組織が、 この「救出中止」の判断をしているのだろうか、ということであった。
>  自衛隊は、防毒マスクを着けて大型ヘリから降下し戦闘する訓練を積んでいる。
>  そのヘリも少々弾丸が当たっても壊れない構造だ。
>  従って、自衛隊なら、少々のことで人命救助を中止しないだろうと思う。
> 御嶽山の現場を知らないので、これ以上言えないが、 まことにじれったいし、救助を中止されて横たわっている人が気の毒でならない。

と書いていた。
私は彼ほども自衛隊の装備については知らないが、それでも、噴火の際は
「軽トラ大の噴石が時速200kmくらいで飛んできた」
らしく、未だに噴火再燃の危険性があるときだったら、二次災害を防ぐためにも慎重な対応をすべきだろう。噴火による被害者の命も勿論大切だが、一方で自衛官の命もそれと同等以上に大切なのだ。
繰り返すが、私は自衛隊の装備については全く知らない。噴火再燃の可能性がある、と報道されていて、現場のプロが撤退を指示したのだから、それ相応の事情があるのだろうな、と考える。私は知識がないからこそ、現場のプロを半ば盲目的に信じる。
医療現場でもそうだが、生半可な知識を持っていてプロの判断を信用しない人が、一番扱いに困る。

3人目はやはり国会議員の片山さつき氏である。彼女は自民党議員ということもあり、反民主党を信条としているのだろう。そのため、ネットで流れていた情報を基に
「民主党政権事業仕分けで御嶽山が常時監視の対象からはずされた」
と主張した。ところが実際のところ、御嶽山の常時監視は民主党時代ではなく自民党時代に外されたらしい。翌日片山氏は自身の発言の誤りを認め、発言を撤回し謝罪した。誤ったことを素直に認めるのは勇気が必要なことで、それについては素直に称えたいと思う。しかし、一般人ならまだしも、国会議員がネット上の曖昧な情報を裏付けをとらずに主張するのは軽率だと思う。また、1000年に1度の災害に対する対策を省略することについても、確か2009年当時はそういった主張が支持されていた。実際、政策というのは費用対効果で考えねばならない。限られた予算の中で費用対効果の優れないものは削除していかねばならない。
民主党時代の「仕分け事業」で削除された事業の中には、東日本大震災の被害を増大させるような「仕分け」もあったと記憶している。(石油備蓄量だったかな)しかし、今必要なことは民主党の責任にするのではなく、
「頻度が少なくても、赤字覚悟でも維持する」

「頻度が少ないから、非常時の被害を覚悟してでも切り捨てる」
かを選ぶ覚悟を認識することだと思う。

金環日食

本日、太平洋ベルト近辺において、金環日食が起こった。
私の住む地域でも9割方太陽は欠けるのだが、折角だからと有給休暇を頂き、東京・池袋にて日食観察を行った。

朝6時に起きる予定だったが、その前に目が覚めた。
曇りという前日の天気予報に反して朝日が差してきたときは嬉しくて興奮した。
途中薄曇りになったが、日食は概ね良好に観察することができた。
金環日食になったとき、丁度雲が出てきたため、金環日食になった瞬間が良く分からなかったのだが、その後はリング上の太陽を確認できたし、雲間に見える指輪上の太陽を肉眼でも観ることが出来た。
金環日食の5分間もあっと言う間だったが、2時間半の日食ですらあっと言う間だった。

以下、日食のときに撮影した写真。
適宜画像の明るさを変更したり、上下逆転させている。(ピンホール法や虫眼鏡では像が逆になるため)

7時19分日食用双眼鏡
7時19分 【日食グラス】 TO-PLAN 太陽観察専用オペラグラス グリーン TKSM-005(G)を使用

7時24分虫眼鏡
7時24分 虫眼鏡を使用して紙に倒立実像を投影

7時26分オレカ
7時26分 オレンジカードの針穴を通じた光

7時37分生
7時37分 薄曇りになった際に、直接撮影

==以下、私自身の日食の思い出==
小学生の頃から、ニュースになるような日食は欠かさず観てきた。

1番古い記憶は、12月24日、クリスマスイブの部分日食。1991年くらいだったと思うが、記録が見当たらない。当時は、
「ガラスに煤をつけて日食を観なさい」
と言われた。現在の、
「自家製の遮光板は使わずに専用の日食グラスを買いなさい」
と報道されるのとは隔世の感がある。私にとってはたったの20年しか違わないのに。
当日は雪が降っており、雪雲を介して欠けた太陽を観た記憶がある。

次は1997年3月9日の部分日食。丁度日曜日だったので天文台に行った。
中学校で渡されたのか、天文台で渡されたのか、アルミ箔のような遮光板で太陽を眺めた。
ようやく普及し始めたインターネットを使って、天文台の人が各地の太陽の状況を実況してくれた。

3年前の皆既日食(2009年7月22日だっけ?)は、雨のため観られなかった。
天文が好きな友人は、夏休みを取って皆既日食を見に行った。天気に恵まれなかったが、彼は奄美から雲に隠れつつも、黒くなった太陽が見えた、と話していた。

いつかは私も皆既日食を観たいと思うが、日本ではしばらく観測できないようだ。
日食ツアーに参加しても当日曇りだったら目も当てられない。
砂漠のように、確実に晴れる地域で皆既日食が起こるのだったら、海外であろうと行ってみたいと思う。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

L'internationale

5月である。
5月と言ったらメイデー。
メイデーと言ったら労働歌である。

今回は5月1日を記念して、閲覧者同志諸君に革命歌の1丁目1番地を紹介したい。

インターナショナルというのは、フランスで作られた革命歌で、世界中の言語に翻訳されている。本家はフランスであるが、本場はソヴィエトであり、1917年から1945年まではソ連の国歌でもあった。日本語訳も作られており、学生紛争の頃に頻繁に歌われた曲でもある。
参照:インターナショナル(歌)
この曲の魅力を端的に言い表すならば、ありとあらゆるアレンジがなされている、ということである。
そのことを知るのは、下の動画が手っ取り早い。

一般的にソヴィエト社会主義共和国連邦や中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、ドイツ民主共和国といった社会主義国では厳かな合唱が多い。一方で、フランスなど資本主義国では愉快なアレンジがされている。歌い手によってここまで印象が変わるのかと驚かされる。

もし上の動画を見て、インターナショナルに興味を持ったら、下のサイトがお勧め。
The Internationaleロシア人が作っているサイト。50カ国語ほどのインターナショナルが視聴できる
インターナショナル もろもろのものどちらかというと、アレンジバージョンが多い
Anti War Songs歌詞を網羅的に集めているサイト。2012年5月1日現在98カ国語となっている

震災1年後

東日本大震災から1年経った。
追悼式典は中継を自宅で見ていた。自然に涙がこみ上げてきた。なんで涙が出るのだろう、と考えてみる。きっと震災、津波で亡くなった方への追悼、被災者の互いを助ける絆への賛辞、全世界からの支援への感謝の念、そして震災に対して無力であった自分への悔恨が絡まっているのだろう。

震災1週間後に無事を報告してから以降、ブログでも報告していなかったので、先日久し振りに会った高校の同級生から、
「何しているか分からんが、取り敢えず埼玉で無事だったみたい。」
と言われてしまった。

震災から1年経ったことでもあるし、自分の震災経験を少しばかり報告したいと思う。もしかしたら、誤解に基づく、誤った情報が含まれているかもしれないが、悪しからず。

○3月11日

震災のあった2011年3月11日、私は福島県いわき市にいた。地震発生時、私は確定申告をしており、確定申告の会場にいた。最初緊急地震速報が届いて、揺れ出すと同時に緊急地震速報のアラームが鳴りだしたので、
「地震速報が来ていますね」
と笑いながら係員と話しているうちに、揺れは大きくなっていった。机に置かれていたノートパソコンまでもが落ちる事態となったので、机の下に潜ることにした。揺れはまるで巨人に建物をユッサユッサと揺らされている感覚だった。しかし、会場は停電や断水になることもなく、確定申告の残りを進め、勤務先の病院に戻った。

病院に戻ると、病棟の患者さん達を全員1、2階に下ろしていた。築40年近く経つ当院は、震度5以上の地震が来たら崩壊するのでは、などと言われていた。エレベーターが使用できない中、患者さん達をストレッチャーや毛布に載せて下まで送る作業を手伝う。

移動が一段落してから、私は救命センターの手伝いをした。そのときになって初めてテレビを観て、仙台が津波に襲われた、ということを知った。三陸ならまだしも、仙台が津波に襲われた、というニュースが俄に信じられなかった。また、救急隊が津波の溺水者を運んでくるのだが、その人数は思ったよりも少なかった。救急隊の話によると、小名浜や江名(いわき市内の地域)は壊滅状態だ、とのことだったのだが、そのときの私には、それがどういう事なのかよく分からなかった。

○3月12日

小児科というのは、入院している患者というのは、風邪や胃腸炎をこじらせて数日間の入院をする子供が大半のため、状態が改善して帰宅できる子供はすぐに退院させることになった。震災当日と翌日には大半の患児が退院した。病院自体は貯蔵水があるので断水になることはなかった。しかし、病院の検査には大量の水が必要らしく、院内の検査は必要最小限にすること、トイレの水は流さないこと、被災した市民が病院のトイレを使い水を浪費させないことが指示された。

○3月13日

津波に遭った町役場と2日間連絡が取れない、とか、仙台市の荒浜では300人以上の溺死体が打ち上げられた、などテレビの報道は酷いことしか言わない。しかし、病院自体は不気味な静けさを保っていた。過去の地震と異なり津波では治療する前に死んでしまう人が多いこと、治療が必要であっても病院搬送までの移動手段が無いことが考えられた。
病院は不気味な静けさを保っており、唯一の情報源がテレビだった。

携帯電話は震災後5日間ほどまともに使えなかった。しかし、インターネットは13日には使用できるようになった。携帯メールをパソコンに転送していたので、それを確認する。何人かから安否を尋ねるメールが来て、その配慮を有り難いと思った。

○3月14日

14日から平日になったが、小児科の外来は実に閑散としたものだった。14日になって水道が復旧した。病院のある地域は他にも病院が林立しており、漏水覚悟で水道管に水を流してくれているのだそうだ。水道局の配慮を有り難いと思った。またこの日の4時には、いわき市の環境放射能測定値が23.72μSv/hまで上昇していた。値はすぐに下がったが、テレビではその話題で持ちきりだった。
総合医局の向かいの部屋が災害対策本部となっており、そこに福島県各地域の放射線量が貼られていた。

なお、後日確認してみたのだが、この情報は県庁・市役所の公式ページのデータでは削除されており、公表されているのは放射線量が下がった16日以降のデータのみだった。行政に不信感を抱く一方で、こんな微量の放射線でパニックになるのが、現在の日本人の知的レベルなのだから、パニックを制御するために情報を統制するのも仕方ない、などと思ってしまう。

同時期に仙台の知人から、いわゆるチェーンメールが届いた。
>自衛隊に勤めているお客さまから地震についての情報が入ったので文章を送ります。
> 各地の石油、製鉄所の火災、福島原発事故の影響で今後降る雨には人体に危険な化学薬品、放射能が含まれる可能性があるので、レインコート、傘は必ず使用して雨が体にあたらないよう徹底してください。なるべく沢山の知り合いに教えてあげて下さい。


私としては、雨具を着るとか、埃を払う外部被曝の予防というのは、あくまでも「おまじない」程度の認識しか持っていなかった。誰かが言っていたけれど、煙草の煙、自動車の排気ガスの方がよっぽど有害だ。だけど、例えば「朝鮮人が暴動を起こす」という流言で朝鮮人の虐殺が起こった関東大震災に比べ、普段の身のこなしを少し変えるだけのチェーンメールなら、まだかわいいかもしれない。
他人に被害を与えない程度の「おまじない」で少しでも気が晴れるのだったら、どうぞおやりなさい、という立場である。

それよりも私が心配したのは内部被曝だった。もしこれから雨が降ったら、雨水に放射性物質が紛れることになる。もしその雨水を使用した水道水を使用したら、今度は体の内部から確実に蝕まれていく。このときの私の心境は、ドラゴンボールに出てくるベジータの「これからが本当の地獄だ」という言葉だった。しかし、地獄であることを知っているため、それを安易に他人に伝えたら、新たなパニックを起こすと考え、親しい人に話すだけに留めておいた。
14日の時点で既に内部被曝を恐れいていたのは我ながら先見の明があると思う。しかし当時の私は、放射性物質は雨で一時的に増えるけれど、そのまま海に流されると考えていた。農作物にまで放射性物質が入り込むことまでは想像が働かなかった。

○3月15日

朝の時点で、病院は通常通り外来診療を行うことになっていた。ところが、昼の時点で薬局の薬剤の量が足りないことが分かった。昨日までは、半月分の在庫はあります、と言っていたのに、どういうことか分からない。また、薬剤師自身が避難していて、薬を処方されない、などという話を聞いた。いずれにしても、私の行動範囲――病院と研修医アパートの往復――では分からない。

後で徐々に知った話によると、市内の薬の卸問屋が、倉庫の鍵を閉めたまま避難してしまったのだという。そして担当者に連絡しても不在とのこと。
いわき市内最大のチェーン薬局である「マルト薬局」の薬をかき集めても足りない状態という。院内にはプレドニンが80錠しか残っておらず、抗てんかん薬も底をついているという。
「こういった、社会的責任を果たさない連中には、後で処罰を与えないと駄目だな」
という声が上がっていたが、本当にそうだと思う。
その後、部長先生は薬局長とも相談していたのだが、疲れ切った表情で
「薬剤師ってのは医者と異なる論理で動いているんだよ。」
と話していた。

15日の夜も当直だったのだが、当直に行くと
「あれ?先生まだ病院に残っていたんですか?」
と言われる。他の若い医者は避難しているという。1次2次救急(歩いてくる患者)も閉鎖して、救急車で来院する3次救急のみを受け入れよう、という話になったらしい。いや、待て聞いていないぞ。

「本日は事前に電話連絡をして来た患者には、薬が無く、検査も出来ない、ということを伝えている。」
と言われた。当直なのに、患者が来ない、儲けた、と思って自宅に戻る。外は霧雨となっていた。
「これから降る雨は放射性物質を含むため、触らないように気をつけなければならない」
などと言っていたチェーンメールは大袈裟だと笑っていたが、いざ自分が雨に濡れる立場になると、出来るだけ濡れたくない、と思ってしまう。

○16日

9時頃に部長先生が災害時緊急会議から戻って会議の話をする。
医薬品に関しては相変わらず厳しい状況。それに加えて電算課の人間まで逃げてしまったため、もし病院の電子カルテシステムがダウンしてしまったら2度と復旧しないという。職員の自主避難は病院が止めることはできないし、止めるべきではない、という結論になったということ。残る職員についても、40歳以下は本人の希望があれば病院に残っても構わない、ということになった。医師の場合、患者の緊急搬送に添乗させ、そのまま搬送先に避難させることになった。
残った医師の名簿があり、現在院内にいる医師にはピンク色のマーカーが引かれていた。初期研修医、後期研修医は、私以外全員既に退避していた。私が周りを見ずに病院に残っている間にいつしか潮は引いていたのだ。研修医の中で最後まで残っていたのが自分だった、ということにどこか安心した。

この日、私もヘリコプターで埼玉に搬送する患者搬送に付き添う形で埼玉に行き、そこで避難した。
上から自分が3年間生きてきたいわきの風景を目に焼き付けておく。意外にいわきは森の多い所だったんだな、と今までは下から眺めていた木々をみつめる。ヘリは旋回して一旦小名浜を回る。アクアマリンも1階部分は津波でひしゃげてしまった、という話を聞いたのでアクアマリンに目を凝らしてみたのだが、遠目でよく分からなかった。壊滅状態、と言われていたが、下の様子は特に変わらなかった。ただ道を走る自動車の数が少ないくらいか。しかし、北茨城の辺りではだいぶ内陸の方にボートが打ち上げられているのを見て、やはり津波は強かったのだと実感する。つくばに着いた頃から、前方には夕陽の沈むビル群が見えてきた。ビル群を通過し間もなくヘリは埼玉県の川越に到着した。

○17日以降

搬送先の病院にとって、必要なのは患者だけであり、付き添いの医師が来ることは予想外だった。しかし事情を話すと、快く研修医アパートの一室を貸してくれ、状況が落ち着くまでは見学生という形で病院に残っても構わない、と言って貰えた。そこで、1週間ほど川越に滞在させて頂くことになる。

また幸運なことに、大学の同級生であるラフマニノフ氏の実家が近くにあり、精神的、物質的にも大分助けて貰った。

その後、病院から連絡があった。スタッフも戻ってきているので、私も戻ってきてはどうか、とのこと。そこで26日に高速バスで東京からいわきに戻った。高速バス出発40分前に到着したときには既に長蛇の列。リュックサックなどを背負った人が多く、一旦東京などに避難した人達がいわきに戻りだしたと考えられた。高速バス3台に人と荷物が満載になったが、どうにか全員乗ることが出来た。また混乱がないようにという配慮か、運転手の他に添乗員もついた。それで料金は普段と変わらない3350円。公共交通を担うバス会社の意地と誇りを感じた気がした。道は途中で何度かガタンガタンと大きく揺れたものの、おおむね順調だった。

震災と無関係に、もともと私は4月から仙台の大学病院に行く予定だった。
ところが、病院に挨拶に行くと、4月もいわきに残ってくれないか、と言われた。5月から赴任する予定だった2人の医師が、やはりいわきの放射能風評を気にして、赴任を嫌がっているのだという。私としては残る気持ちも強かったのだが、いわきに戻ってから急に言われても、既に引越の算段などは決めており、大学にも4月から研修を始める、と伝えていたので、返答に困った。兄と両親に尋ねてみると、やはり、現状としていわきは放射能が心配であるので戻ってきて欲しい。もちろん、私は成人しているので、最終的には私の意思が尊重されるが、ということだった。今回の地震のことでは両親にだいぶ心配を掛けたので、これ以上親不孝をさせるわけにも行かないと思い、仙台に戻ることにした。

○4月以降

4月以降は仙台の大学病院で働いている。

3月25日、引越予定日の2日前になって業者から一方的なキャンセルを告げられた。従業員がいわきに行きたくない、と言ったためである。そのため、自分の車に家財を積めるだけ積んで引っ越しすることになった。
今年度大学に来た多くの研修医が、震災の混乱のため異動を5月に遅らせたことを知ったのは後日である。私は被災地のど真ん中にいながら、4月に引っ越した。また、大学病院も震災の影響で1ヶ月間は昼食の確保にも事欠く状況だった。
仙台は水道・電気の復旧は進んでいたが、ガスの復旧は遅れていた。仙台の新居はオール電化なので入浴は大丈夫だろう、と思っていた。しかし電気は大丈夫なものの温水タンクが破損しており、新居で風呂に入れたのは6月になってからだった。

後になって考えてみると、1ヶ月長くいわきにとどまっても良かったと思う。それをしなかったことを未だに悔いている。

まずは安全報告

無事です。
川越にいます。

これ以上のことは、事態と私の心が落ち着いてから書くことにします。

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雨先案内人のライブ

1日に当直から帰ると、mixiで、
「今日いわきでライブを行います」
というY君からのメッセージが届いてた。
正月に会ったとき「今度いわきでライブをやるよ」と話していたのは聞いていたのだが、いつ行うか、ということは聞いていなかった。

彼は小中学校で私の同級生だった。学校が同じだったのは9年間だが、クラスが一緒だったのは5、6年の2年間だけだったと思う。小柄でクリクリとした子だった。雨先案内人というグループ名かつ芸名で活動している。2年ほど前の同級会であったら、スラリと背が伸び、髪は長くウェーブをかけていて、非常に驚いた。

20時半頃ライブハウス「SONIC」に到着した。別のユニットが歌唱と小さなピアノの演奏を披露していた。後で聞くと、「猫舌」という仙台から一緒に来たグループらしい。ライブハウスは幅8m、長さ15m、高さ5mくらいの建物で、部屋の前後に舞台があった。中には30人くらいの男女がいた。

Y君のライブは45分くらいから始まった。。色々な楽器をしているそうだが、今日はギターを弾きながら歌うというスタイルだった。歌う、というよりも叫ぶ、といったスタイルで、音程が合っていなかったり、高音が良く出ていない、ということはあったけれど、大声で叫んで、自分の思いを伝えている、ということがヒシヒシと伝わってきた。また、ライブを観に行くこと自体初めてなのだが、左右両方からズシンズシンと来る音は迫力十分だった。
歌っているテーマは、今を一生懸命生きよう、というオトナが聞いたらヘヘンと鼻で笑ってしまうような青臭いテーマではある。しかし、その真っ直ぐな目標を真っ直ぐに歌うというのは凄いことだと思った。

ライブ終了後二人で部屋の外に出て近況を語り合う。Y君はライブとしていわきにも何度が来ているらしい。4日に共通の同級生の結婚式がある。私はそれに出られないので、代わりに宜しく伝えるように言った。その後打ち上げにも参加させて貰った。漠然と、バンドというのは、派手な格好をしていたり、近所の高校でもバイト、バイクと並んで禁止されている(3バ禁止と言われていた)ということから、怖い人達なのかと思ったが、とても気さくな人達だった。

Y君はこれから車で仙台に戻るという。また仙台で会おうね、と言って別れた。
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砧音月

著者・管理人:砧音月
東北の病院に就業中
2008年卒業

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