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イスラム国拉致二論

「日本特殊」論


シリアで武器を扱う商人である湯川春菜さんと、ジャーナリストの後藤健二さんが、イスラム過激派の「イスラム国」に拘束されている。一部の日本人の行動がピックアップされているとはいえ、これに対する日本人の反応は、世界的に極めて例外的な反応だと思う。

まず、イスラム国(ISlS)のメンバーが
「日本人が同胞を救うために政府に圧力を掛ける時間は72時間しか残されていない」
とアナウンスしたところ、インターネットで見る限り大多数の市井の反応は
「危険を承知でシリアに行ったのだから、自己責任だろう。」
という非常に冷淡なものであった。

更に、日本人2人が拘束されている様子が写真で公開されたが、その写真が、どうも別々の写真を組み合わせたもののようだ、となってからは
「#ISISクソコラグランプリ」
と、テロリストと人質たちを茶化すような画像がTwitter上に溢れ、あまつさえ、その画像をイスラム国のメンバーに送りつけるような行動を起こす者が現れた。これには賛否あるものの、偉い人(政治家たち)はたいてい、テロリストを刺激するので控えるように、と訴えている。不謹慎とは思いながらも、私もこのコラ画像を見て笑わせてもらった。

しまいには、殺害の連絡があった湯川さんの父親が
「日本国民と政府は救出のために尽力して頂き感謝し、迷惑をかけたことをお詫びします」
と述べたことである。
日本人としては、自分の家族がそうなっても記者会見ではそのように言うだろうな、と思う。また2004年にイラクで日本人3人が誘拐された時も「自己責任」という言葉が沸き起こり、誘拐"された"側とその家族に対するバッシングが起こった。家族が、状況に対して文句を言わなかったのは2004年の経験も当然記憶していたからだろう。

私はこれら日本人の反応に対して、良い、悪いの区別はつかない。ただ、日本人の感性ってやっぱり世界基準から少しずれているんだな、と再認識次第である。

「自己責任」論


誘拐犯、特に海外の組織的な政治的な誘拐犯の要求に応えることは、一層の誘拐・拉致を招く恐れがある。だから誘拐犯の要求に応じてはならない、という理屈は、米英などではそれなりに合意を得られている。

だから、ここでは純粋に
「自己責任」
についての考察を述べてみたい。

2004年の「イラク日本人人質事件」、更にはその数年後には日本人が実際に首をナイフで斬殺された「イラク日本人青年殺害事件」もあった。(数年違いと思っていたのだが、今調べてみたら、両者は僅か半年しか違わなかった)その都度、「好き好んで危険な場所に行ったんでしょ?」と「自己責任」という言葉が現れた。一方で、それに対する反論も現れた。昨年辺り、アルジェリアで海外支店の日本人が拉致された「アルジェリア人質事件」は、あまり「自己責任」という言葉は出てこなかったように思う。(事件名はいずれもWikipedia参照)

イスラム圏での誘拐事件に限らず、冬山で遭難した人や太平洋にヨットで漕ぎ出し遭難した辛坊治郎氏に対しても、「自己責任」の言葉が出ることがある。

「自己責任」を唱える人の主張をまとめると
「自ら志願して危険な地域に行ったのだから、誘拐されても政府からの救助を期待するのは間違っている」
となる。これを、より広義に意味づけるとしたら
「同じような事件であっても、そこに巻き込まれる状況によって、公的機関の対応は変えるべきである」
となるだろう。
はたしてその主張は正しいのか?
以下、様々なケースを考えて、「自己責任」論が正しいのか、誘拐犯の要求を満たすのが正しいのかを検討してみた。

例えば今回の誘拐事件に対しても、現地の人とろくに会話も出来ないのに武器商人のようなことをした湯川さんに対しては「自己責任」という主張が起こり、逆に「危険な場所に行くのだから、自己責任です」と自ら語っていた、ジャーナリストの後藤さんに対しては「彼は助かって欲しい」という意見が多く見られる。

では、日本企業の社員が外国で誘拐された時は「自己責任」にはならないのか?一説には、彼らは日の丸を背負い、日本人のイメージアップに貢献した人達だから良いのだという。しかし彼らだって会社から給料(多分、危険地手当なんかも含めて)をもらっていて、自ら志願して外国で働いているのである。フリーランスの人間が事件に巻き込まれたら「自己責任」で、国際企業の社員が巻き込まれたらそうではなくなるのか?

もしこれが、日本企業よりも、更にはっきりと日の丸を背負っている自衛隊員が事件に巻き込まれたら?自衛隊員だって、志願して危険な地域に派遣されているはずである。逆に、自衛隊員の海外派遣が志願制でなかったら、私は自衛隊を尊敬できない。自衛隊員が任務中にテロリストに誘拐されても「自己責任」になるのか?更には、例えば自衛隊員が任務時間外に「いかがわしい場所」に行って、そこで事件に巻き込まれたら自己責任になるのか?

事件は危険地に限らない。「在ペルー日本大使公邸占拠事件」や「よど号ハイジャック事件」や「ダッカ日航機ハイジャック事件」のように、危険性が低いと思っても事件の人質になってしまう場合もある。これも「ハイジャックの危険性の高い飛行機ではなく新幹線で移動すべきだった」と言えるのだろうか?朝鮮民主主義人民共和国による拉致事件だって、「朝鮮に近い日本海側に居住していたのが悪かった」などと言えるのだろうか?逆に、これらの人々が事件に巻き込まれたのは自己責任ではないから、政府はありとあらゆる手段を使って、更には相手の主張を全て受け入れてでも、人質を救出すべきなのだろうか?

日本人が犯人で、日本で誘拐事件を起こすと、個人に対する身代金要求しか行わないのが普通だと思う。誘拐事件、立てこもり事件に対しては警察や特殊部隊が事件解決に全力を尽くす。しかし、もし誘拐犯が
「政府が200億円を用意しろ」
とか
「自衛隊はイラクから撤退しろ」
などと要求したら、政府が身代金を建て替えたり、政策を変える必要はあるのだろうか?日本人が誘拐犯ならばそんな要求を一笑に付してしまうのに、海外の事件だとそれが急に真剣味を帯びるのはなぜだろうか?

このようにウダウダと事件を考えていって、私は以下のような結論に落ち着いた。
危険地域で事件に巻き込まれた彼らには、それなりに「自己責任」が伴う。しかし自己責任の有無は、はっきりと線引きできるものではない。責任の有無よって政府(公的機関)が対応を変えずに人質救出に全力を尽くす必要がある。一方で、自己責任の有無に関わらずテロリストの要求にどこまで応じるかは、結局は交渉次第になる、と。
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御嶽山にみる阿呆な意見

2年5ヶ月ぶりにブログに書いてみる。

5日くらい前に(土曜日だったかな?)御嶽山という長野と岐阜の県境にある山が突然噴火した。先ほどのニュースを見たら死亡者48人となり、戦後最悪だった雲仙普賢岳火砕流の死亡者数を越えてしまった。住民居住区でもない御嶽山山頂の噴火がこれだけの死亡者を生んでしまったのは、紅葉シーズンの土曜日の日中だった、という、丁度山頂に人が集まっている条件が重なってしまったためである。

被害者の中にはまだ若い方も大勢いた。本当に気の毒なことだと思う。
初日の時は、助かった人のインタビューしか見ていなかったので、それほど大変なこととは思わなかったが、続々と伝えられる惨状を聞くにつけ、噴火の恐ろしさを実感した。後になって被害が明らかになるのは、東日本大震災もセウォル号沈没事故、広島土砂災害にも共通している。

そんな中、御嶽山噴火について、私が阿呆だと感じた意見を3つ見たので、書きたい。もっとも、顔を出して意見を表明するのは非常に勇気がいることなので、そのことを私は尊敬している。また、当然人間は万能ではないので、誤解に基づく主張も行われるだろう。
しかし
「ちょっと調べれば分かること」
「素人の自分でも分かること」
にもかかわらず、特定の政治主張を抱いた人間の目によるフィルタがかかると、こうも曲解してしまうのか、痛々しく思ってしまう。また、日頃ジャーナリストや政治家として尊敬を受けている人達も、専門分野以外に関しては素人並みの見識を持っていない可能性がある、ということを再認識する次第だった。自分も他山の石として気をつけねばならない。

まず1人目が江川紹子氏。
彼女はオウム真理教が有名になる前からオウム真理教が関わる事件を取り上げ、オウム真理教から命を狙われたジャーナリストである。彼女は人権派、反戦平和の政治的信念を持っているようである。(※Wikipediaであるが、江川氏の言動を見て、簡単に人権派、反戦平和に分類できる訳ではないと分かった)Twitterで
「なぜ、御嶽山に自衛隊派遣なんだろ…。人が必要なら、むしろ警視庁や富山県警の機動隊や山岳警備隊の応援派遣をした方がよさそうな気もするが…。」
と唱え、それに対して、軍事評論家から
[「火砕流に巻き込まれても平気な装甲車両を持っているのは、自衛隊だけだからじゃないかな。雲仙普賢岳では活躍しましたよ。」]
と反応されたが、
「装甲車や戦車は、火砕流には勝てません。」
と返した。
彼女は災害派遣に対する自衛隊の活用に懐疑的なのだ、と私は推測する。
正直なところ、私は江川氏ほども深く考えずに
「災害で大変なんだから自衛隊を出さないと」
と考えていた。軍事評論家の、火砕流に耐えうる車両として装甲車を使う、というのを聞いて、
「なるほど。確かに普通の車や生身の人間よりも、装甲車(戦車?)の方が強そうだ」
と思った。一方で江川氏はなおも装甲車を使用しても意味はない、という考えをなかなか改めようとしなかった。

一方で自衛隊の活用を積極的に唱える中にも無茶なことを唱える人がいる。
西村慎吾氏は、尖閣諸島に無断上陸するなど、色々と物議を醸した保守派の国会議員である。当然自衛隊をもっと活用すべきと唱える。

> 昨夜と本日にかけて御嶽山には多くの「心肺停止の人」が頂上付近に横たわっているのに、「捜索・> 救出は中断する」という状態がたびたびあった。
> 私が疑問に思ったのは、如何なる能力を持った組織が、 この「救出中止」の判断をしているのだろうか、ということであった。
>  自衛隊は、防毒マスクを着けて大型ヘリから降下し戦闘する訓練を積んでいる。
>  そのヘリも少々弾丸が当たっても壊れない構造だ。
>  従って、自衛隊なら、少々のことで人命救助を中止しないだろうと思う。
> 御嶽山の現場を知らないので、これ以上言えないが、 まことにじれったいし、救助を中止されて横たわっている人が気の毒でならない。

と書いていた。
私は彼ほども自衛隊の装備については知らないが、それでも、噴火の際は
「軽トラ大の噴石が時速200kmくらいで飛んできた」
らしく、未だに噴火再燃の危険性があるときだったら、二次災害を防ぐためにも慎重な対応をすべきだろう。噴火による被害者の命も勿論大切だが、一方で自衛官の命もそれと同等以上に大切なのだ。
繰り返すが、私は自衛隊の装備については全く知らない。噴火再燃の可能性がある、と報道されていて、現場のプロが撤退を指示したのだから、それ相応の事情があるのだろうな、と考える。私は知識がないからこそ、現場のプロを半ば盲目的に信じる。
医療現場でもそうだが、生半可な知識を持っていてプロの判断を信用しない人が、一番扱いに困る。

3人目はやはり国会議員の片山さつき氏である。彼女は自民党議員ということもあり、反民主党を信条としているのだろう。そのため、ネットで流れていた情報を基に
「民主党政権事業仕分けで御嶽山が常時監視の対象からはずされた」
と主張した。ところが実際のところ、御嶽山の常時監視は民主党時代ではなく自民党時代に外されたらしい。翌日片山氏は自身の発言の誤りを認め、発言を撤回し謝罪した。誤ったことを素直に認めるのは勇気が必要なことで、それについては素直に称えたいと思う。しかし、一般人ならまだしも、国会議員がネット上の曖昧な情報を裏付けをとらずに主張するのは軽率だと思う。また、1000年に1度の災害に対する対策を省略することについても、確か2009年当時はそういった主張が支持されていた。実際、政策というのは費用対効果で考えねばならない。限られた予算の中で費用対効果の優れないものは削除していかねばならない。
民主党時代の「仕分け事業」で削除された事業の中には、東日本大震災の被害を増大させるような「仕分け」もあったと記憶している。(石油備蓄量だったかな)しかし、今必要なことは民主党の責任にするのではなく、
「頻度が少なくても、赤字覚悟でも維持する」

「頻度が少ないから、非常時の被害を覚悟してでも切り捨てる」
かを選ぶ覚悟を認識することだと思う。

子の命名のついて

「稀星」は「きらら」と読める?
今年2月に生まれた赤ちゃんの名前の読み仮名をめぐり、富山市と富山県立山町が出生届受理で異なる対応をしたことが17日、わかった。富山市は受理し、立山町は再考を促した。名前の読み仮名は戸籍法には定めがなく、法務省「漢字からおよそ連想できない読み仮名は再考を促すよう各市町村にお願いしている」という。

(asahi.com:「稀星」は「きらら」か? 出生届受理で2市町対応に差)

富山地方法務局は「読み方が適切ではない場合は受理すべきではないと、各市町村に助言している」(戸籍課)が、……

(北日本新聞社 富山のニュース)

朝日新聞と北日本新聞で若干ニュアンスが異なるけれど、要は変わった名前を役所が受理するか否かの問題かと。
私が親だったら
「再考しましたが、やはりこの名前で。」
と言うでしょうが、「再考」というのは、暗に「それは駄目」と言っているのでしょうかね。

さて、私の実生活上の名前を知っている人は、私の名前が難解である事を承知していると思います。今まで私の名前の読み方を当てた人は高校の家庭科の先生ただ1人でした。ちゃんと漢字辞典にも載っているんですけどね。Googleで検索してみると、唯一発見できた同姓同名の方は、明治41年に東京で産婦人科を開業したそうです。

なんでそんな名前になったのか聞いてみますと、最初同じ読み方で「翼」と書きたかったらしいのですが、父親が
「すぐに飛んで行ってしまいそう。」
と反対して、今の漢字になったそうです。
因みに、母は兄の名前を「創(はじめ)」、妹の名前をあずさ2号梓川の「梓」にしようとしたのですが、父から
「格好良すぎる」
と反対され、現在の名前に到っています。父にとって私の名前は格好良いと感じなかったのか、2番目だからどうでも良いという次郎物語状態だったのか判断に迷う所です。

私自身は、自分の名前を大いに気に入っています。というのも、苗字があまりにもありきたりなため、名前くらい少し珍しい方が釣り合いが取れていると思うからです。誰も名前を読めず、尋ねてくることに快感を覚えるのは悪趣味でしょうか。

一方で、ありきたりな苗字もまた気に入っています。肉親に医療従事者がいるのですが、あまりにありきたりな苗字なため誰も気付きません。他の兄弟も私の兄弟と気付かれることは少ないらしく、あまり注目されたくない私にとっては有り難いことです。

今回の命名の件についても、子供に変わった名前をつけることにたいして批判的な意見が多いようです。でも、 子供の名付け(命名)DQN度ランキングに出てくる名前や、10年前に世間を騒がせた「悪魔くん」と比較すると「きらら」はまだまだまともな名前に思えます。読める名前をつければ良い物でもなく、変わった名前をつければ良い物でもなく、その児が自分の名前を気に入ることが出来たら最高ですね。

テーマ : 大学生日記
ジャンル : 日記

銃刀法

デスノートの作者である小畑健氏が銃刀法(砲刀剣類所持等取締法 )違反で逮捕されたとのこと。彼が銃刀法を違反したことは間違いなく、運悪く見つかってしまってお気の毒様と言う他無い。

以下の文章は、法律をろくに知らない理系の大学生がインターネットで法律を調べて考えたことである。私に誤った認識があるならば指摘して欲しい。ただ、「炎上」は止めてほしいな。


ところで私も100円ショップで十徳ナイフを購入し、以来持ち歩いている。
滅多に使うことは無いが、包装を開く時にナイフが必要な時もあるし、缶切りを使うこともある。使う機会は少なくても持っていれば便利なのである。ところが「便利そうだから」という理由は「正当な理由」にはならないらしい。
だが、調べてみると、銃刀法では、折りたたみの場合8cm以下の場合携帯を許される。

○砲刀剣類所持等取締法
(刃体の長さが六センチメートルをこえる刃物の携帯の禁止)
第二十二条  何人も、業務その他正当な理由による場合を除いては、内閣府令で定めるところにより計つた刃体の長さが六センチメートルをこえる刃物を携帯してはならない。ただし、内閣府令で定めるところにより計つた刃体の長さが八センチメートル以下のはさみ若しくは折りたたみ式のナイフ又はこれらの刃物以外の刃物で、政令で定める種類又は形状のものについては、この限りでない。

○銃砲刀剣類所持等取締法施行令
(刃体の長さが六センチメートルをこえる刃物で携帯が禁止されないもの)
第九条  法第二十二条 ただし書の政令で定める種類又は形状の刃物は、次の各号に掲げるものとする。
一  刃体の先端部が著しく鋭く、かつ、刃が鋭利なはさみ以外のはさみ
二  折りたたみ式のナイフであつて、刃体の幅が一・五センチメートルを、刃体の厚みが〇・二五センチメートルをそれぞれこえず、かつ、開刃した刃体をさやに固定させる装置を有しないもの
三  法第二十二条 の内閣府令で定めるところにより計つた刃体の長さが八センチメートル以下のくだものナイフであつて、刃体の厚みが〇・一五センチメートルをこえず、かつ、刃体の先端部が丸みを帯びているもの
四  法第二十二条 の内閣府令で定めるところにより計つた刃体の長さが七センチメートル以下の切出しであつて、刃体の幅が二センチメートルを、刃体の厚みが〇・二センチメートルをそれぞれこえないもの


しかし銃刀法に違反しなくても、今度は軽犯罪法に引っかかってくる。まるで銃刀法で逃したナイフを全て追い掛けるかのようだ。

○軽犯罪法
第一条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
二 正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者



例えば、
アーミナイフ 所持(十徳)、軽犯罪法違反で捕まりました: butcher blogにおいて著者は、刃体6.8cmの折りたたみナイフを携帯していたことで軽犯罪法違反で逮捕されている。(銃刀法違反ではない)
ところが、著者が軽犯罪法で処罰されるためには、そのナイフを隠して携帯していたということになる。著者は任意の所持品検査にも応じているので、隠して携帯していたという条文に合わない。

仮に著者が十徳ナイフをバッグに入れただけで「隠して携帯していた」という条件が成り立つとしよう。その場合、晴れた日に折り畳み傘を持ち歩いた物も逮捕せねば整合性はつかなくなる。なにしろ、傘によって相手を失明させる事件が起こったばかりなのだから、これほどの凶器を他人に見えぬように持ち歩いて良い筈がない。

参照:傘で百貨店販売員の目を突いた容疑、女を逮捕 警視庁

そんな馬鹿な、大袈裟な話だ、と思う方が大半だろう。私も馬鹿らしく思う。
しかし、いち理系学生が、法律を日本語として読んだ結果、そんな極端な例も否定できなくなってしまうのだ。
もし折り畳み傘をバッグに入れても逮捕されないのならば、著者はナイフを隠してもいないのに、警察官の誤った法知識に基づく無実の罪で逮捕されたことになる。

他に軽犯罪法で逮捕された方の文章:
Y@copoの月刊「マウス・トゥ・マウス」
三連打(うつ病・無職・ヒキコモリ)だった。 : ドキドキの初体験

その解決方法は2つ。
1つは銃刀法ならびに軽犯罪法を「他人を傷つけることを予防する」という本来の設立趣旨(そんなもの知らないが、上2法の目的なんてそんなものだろう。やくざの別件逮捕もありそうだが。)を守りつつ、一般人の自由・利便を守れるよう法改正を目指すこと。
もう1つは私達1人1人が法律を頭に入れ、不当逮捕されないよう努力することだろう。


追記:このニュースが気になって他の方のブログを読ませてもらったのだが、ニュースを長々と書き、たった一言、「工エエェェ(´д`)ェェエエ工 」だの「映画が上映されないのではないかと心配」と書かれてあるブログが大半でがっかりした。ブログでニュースを取り上げる場合、それについて自分が何を思ったかを書くのが大切なんじゃないのかなぁ……。ブログに決まりなんて無い、って言われたらそれまでだけど。

テーマ : 気になるニュース
ジャンル : ニュース

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砧音月

著者・管理人:砧音月
東北の病院に就業中
2008年卒業

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