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MEC模試

昨日、国家試験に向けた模擬試験を受けました。
医学生は2月に行われる国家試験に向けて過去問を解いたり、模擬試験を受けたり、6年ぶりに「受験生」になります。

昼間学校に行って問題を取りに行って、自宅で解くというものでした。受験票を受け取ってびっくり。
MEC


そういえば国試対策委員から
「住所教えて。」
と言われたとき、
「どうせ企業に情報が流れるのだったら、旧字体を使ってやれ。」
と思って、旧字体で住所を渡した記憶が。
でも、それがそのまま使われるとは思わなかった。
こんな宛先で今後郵便物が届られるかと思うとちょっと鬱です。
でも郵便屋さんはもっと嫌でしょうね。
昔だったらどろり氏に送る年賀状のように

一 → 壱
二 → 弐
三 → 参
四 → 肆
五 → 伍
六 → 陸
七 → 漆
八 → 捌
九 → 玖

と「るろうに剣心」みたいなことをやっていただろうけれど、そうすると本当に届かなくなりそうです。

同級生のみんなもそろそろ国家試験に向けて勉強し始めているようです。自分としても気持ちばかりが焦って一方で「何とかなるだろう。」という甘えた心もあって、前に進んでおりません。
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二高消失

大分遅れた話題ですが、私の母校だった仙台二高の入学式が月曜日に行われたそうです。二高は今迄男子校だったのですが、今年度から共学化され、70名の女学生が入学したそうです。

私が高校時代、二高は男子校というだけあって、更衣室など無く、パンツ一丁で生徒が廊下を濶歩していました。また中庭に正座させられ同級生からアレやコレや尋ねられたり、応援歌零番に大笑いしたのも、本当に懐かしい思い出です。

組織は時代や中の人によって常に移ろうものです。共学化以前からも應援團幹部が1人もいなくなってしまったり、定期戦が1日だけになってしまったり、時代の変化を感じる話を耳にしてきました。
また女子校と異なり(福島女子→橘、安積女子→安積黎明など)、男子校が共学化になっても名前自体は変わりません。だから学校はそのまま続いているような錯覚に陥ります。
でも、私にとって、二高は消えてしまい、記憶の中を永遠に漂流する存在になってしまったのです。

新学期

今日より新学期が始まりました。
高校時代の気分で「もう学校?」と思ってしまったけれど、他の学年や学科も新学期のようなので潔く諦めるしかありません。いよいよ最終学年です。

さて、私は今日から4週間循環器内科での高次修練を行います。
高次修練というのは、自分の好きな科に4週間ずつ実習できる期間です。研究室配属と異なるのは、選択する科は自分の将来とは全く関係なく選べるということです。例えば私は東洋医学に進むつもりは全くありませんが、東洋医学的な考え方も知ってみたいなぁ、と思ったため、7月には「漢方医学」を選択しています。そんなのを4週間×4回、4月から7月まで行います。

循環器内科では、2週間指定する外病院での実習が可能だと言われました。(大学病院での実習は最低でも2週間必要だし、病院見学は行けなさそうな雰囲気だった。あくまで主観だけど)私は折角だから外病院が良いと思い、県南中核病院で2週間実習させて貰う事にしました。

さて、県南中核病院へは大河原まで東北本線で行って、そこから宮城交通で2kmほど走ってようやく到着します。前日に営業所に電話して時刻を確かめたら大河原駅から8:10に病院行きのバスが出ているとのことで、そのバスに乗って中核病院に行くことにしました。

7時25分、白石行きの東北本線が仙台駅を出発します。あいにくの701系でしたが、ラッシュと反対方向なので座ることもできました。大河原まで30分近くかかるので、腕時計のアラームを設定した上で軽く寝ることにしました。








ふと目が覚め、周りに誰もいないことに気付き慌てて駅表を見ると
白石

(宮城県白石市)



となっていました。

急いで白石から引き返し、大河原に到着。黒磯まで行かなかったのは不幸中の幸いでしょう。
バスは3時間に1本しかないので、タクシーで病院へ行くことになりましたとさ。やっぱり夜更かしはいけません。

今日から病院も新学期で、研修医の医者たちも大勢来ていました。1年上の先輩達に久し振りに会えて良かったです。

本当はアカい千と千尋の神隠し

注意

この文章はエイプリルフールに合わせた冗談企画です
別に社会主義を賛美している訳でもないし、批判している訳でもありません。
どうか、責めないで下さい。

千と千尋の社会主義

千尋は資本主義社会の住民。ひょんなことから社会主義の国に迷い込み、そこで千尋の両親は
「金で買えない物は無い。」
とばかりに、党員の大切な物に手をつけてしまう。社会主義圏では金では手に入らない物が存在するのである。千尋の両親は「資本主義の豚」であることを示された後、強制収容所に連行されてしまう。

千尋はその後湯婆婆の元に行き、
「働かせてください。」
と頼む。湯婆婆は当初難色を示していたものの
「働きたい者は必ず雇うと決めてしまったから。」
と千尋を雇うことにする。そう。社会主義国家では「失業者ゼロ」を高らかに掲げているのである。千尋は資本主義社会での名前を捨て、社会主義の中で生きて行くための名前を手に入れる。

釜爺ではススワタリが
「働かないならば煤に戻してしまうぞ。」
と叱られるが、これは国家に貢献しない者は粛清されることの暗示である。

またクサレ神がやって来たときも、油屋全体で、力を合わせる。これは全体主義の象徴である。綱引きによって、出てきた物は川に捨てられた廃棄物。これは経済第一主義の結果発生した公害以外の何物でもない。資本主義社会によって汚されたクサレ神は、社会主義の元で浄化され再び活力を取り戻す。

そんな貧しくも平和に革命活動を続けてきた油屋に、湯婆婆曰く「雨に紛れておかしな物が入り込んできた」。それこそが金で全てを手に入れることができると思い込む、市場経済至上主義の権化、カオナシである。
最初のうち、従業員たちは働きに応じて収入を得られる環境に活き活きとする。しかし、市場経済が人民を呑み込むという事実に直面し、人民は恐怖に陥る。
そしてカオナシの生み出した金塊は、実は土くれだった。これは正しく、ライブドアなどの株式が事件によって紙切れになってしまうことを暗示している。つまり、市場経済とは虚構の財産を生み出し、それによって人民の心を狂わせる物でしかないのだ。市場経済という害悪は千尋によって社会主義国家から取り除かれる。

また、坊は「言うことを聞かないとテポドン打っちゃうぞ」と喚く、朝鮮民主主義人民共和国に酷似している。生活の全てが湯婆婆という大国に頼っており、自活できないところまで隣国に似ている。千尋が血を見せたのは「米国の言うことを聞かないとイラクのように制裁を受けるぞ」ということだったのか。

更に、双子の銭婆は、妹のことを
「私達は双子なのに仲が悪くて。」
とこれは正しく、同じ社会主義国家でありながら仲が険悪であった中華人民共和国とソヴィエト社会主義共和国連邦との関係を暗示している。互いに相手の物を盗んだり、スパイ活動を行う辺り、中ソの関係に似ているではないか。

最後に千尋は資本主義社会へと戻って行くが、社会主義国家で"何か"を見つけ、それを糧として今後も生きて行く姿が映された後、「いつでも何度でも」が静かに流れ出す。

いつでも何度でも


呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る (社会主義の)夢を見たい
かなしみ(革命に散った同志)は 数えきれないけれど
その向こうできっと あなた(社会主義国家建国)に会える

(資本主義の)繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る(→赤い旗の 赤さを知る)
(革命への道のりは)果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光(社会主義)を抱ける

(資本主義に)さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだ(→革命で荒廃した人民)
(主席の言葉に)耳をすませる
(社会主義が)生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ(同志)

(革命が)呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも (社会主義の)夢を描こう
かなしみ(社会主義の貧しさ)の数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっと(インターナショナルを)うたおう

閉じていく思い出の(→米帝によって封じ込められた国々の)
そのなかにいつも
忘れたくない (社会主義の)ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡(→ソヴィエト)の上にも
新しい景色(→CIS:独立国家共同体)が 映される

(革命の)はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ(→革命で荒廃した経済)
充たされてゆけ(5ヵ年計画、大躍進)
海の彼方(ソヴィエト)には もう探さない
輝くもの(社会主義の夢)は いつもここに
わたしのなかに
見つけられたから(→我が国は独自路線を貫きます)

結論

「千と千尋の神隠しのDVDは赤いということで話題に上がったが、
(参照:wikipedia:千と千尋の神隠し:DVDの「赤い映像」問題)
何のことは無い。最初からアカかったのである。

配役の考察

別に漠然とした社会主義の話でも良いのだけど、折角だからそれぞれのキャストの配役を考えてみよう。まず、上に述べたようなことから
湯婆婆ソヴィエト社会主義共和国連邦
銭婆中華人民共和国
朝鮮民主主義人民共和国
としてみよう。

一方で千尋を大韓民国ハクを朝鮮民主主義人民共和国とすれば
「私はそなたの小さい頃からよく知っている。」
とか釜爺の
「愛の力だ」「民族愛の力だ」
も世界情勢に合致する。
更に父親を米国母親を日本とすれば、正しく資本主義の豚であり、旦那にばっかり執心で娘に無関心な母親はアジアに無関心な日本を暗示している。ただ、しがみつく千尋に向かって悠子さん(千尋ママ)の台詞
「千尋、離れて歩いて。歩きづらいわ。」
があまりに意味深になってしまうので、これ以上追求しないことにする。
しかしそうなると坊を朝鮮以外の国と見なければならない。キューバ、リビア、イランなんかが頭に浮かぶのだけど、彼ほど瀬戸際外交を行う国が他に見当たらず、判断に悩むところである。

余談ながら

宮崎駿は大学時代社会主義に傾倒していたそうである。
(参照:wikipedia:宮崎駿#政治的・思想的スタンス)
意外にそんな暗喩があるんじゃないの?と思ってしまった。
あと、一応「千と千尋 社会主義」といった言葉で調べてみたけれど、こんな考えをしている人はいなかった。誰でも思いつきそうだけど、やっぱり突飛なのかなぁ。
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砧音月

著者・管理人:砧音月
東北の病院に就業中
2008年卒業

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