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10年後の自分へ

中学校を卒業する頃に、国語の先生から
「10年後の自分に手紙を書こう。」
と言われ、10年後の自分への手紙を封筒に入れた。

去年の正月の同級会の時に
「中学校を卒業するときに10年後の自分への手紙を書いたけれど、それってそろそろ届く頃だよね。」
「書いた、書いた!」
といったやりとりがあった。その後も音沙汰はなく、私が欠席した夏の同級会の時も、この手紙のことが話題になったらしい。先生も、もう忘れてしまったのかな、と思っていたら、去年の大晦日になって届いたらしい。

○出世頭


同級生の根田君に関して「彼は将来世界を股にかけて活躍しているだろうから、消息が分かったらしっかりとチェックしておくこと」と書かれていた。当時私は彼の言動、絵に心酔しており、その影響を直に受けて書いた文章と言えるが、私の先見の明に驚いた。彼はまさに10年経った去年になって、漫画家として開花して全国誌のジャンプでデビューを果たしたのだった。今日(2/15)発売の週刊ジャンプに、「こち亀」「BLEACH」などの有名な漫画に交じって、中間カラーでの掲載を果たしているので是非是非確認して欲しい。ジャンプに掲載されたのは、もちろん本人の実力(ひょっとしたら運も)も大切だったろう。しかし、漫画家という夢に向かって諦めなかった彼の執念深さ、根気が実を結んだものだと思う。

○未来予想


改めて読み返してみると、まず2000年問題について心配していた。確かに、その頃は1999年で、2000年問題が新聞などで指摘されていた記憶がある。そういえば1999年と言えば7月に「ノストラダムスの大予言」で7月に恐怖の大王が降臨する、などと噂されていたはずなのだが、10年前の私の手紙には、ノストラダムスに関しては、一切書かれていなかった。大予言など全く信じていなかったというのが、私らしいといえば私らしかった。

10年前の手紙の内容は殆ど忘れていたが、コギャルの未来を案じていたことは微かに覚えていた。自分よりも、僅か2、3年年上なのに、異形の姿(ガングロとか、分厚い化粧とかルーズソックスとか)をしていた人達は、10年経って27歳位になったときに母親となって落ち着いているのか、それともコギャルのような格好を続けているのだろうか、と思ったのだ。
10年経った現在、振り返ってみると、現在も化粧の濃い高校生は存在する。しかし、ガングロといったような異形の姿の女子高校生は見なくなった。最近の高校生の足下は見ていないけれど、ルーズソックスはいい加減廃れてきたと思う。

○連綿と続く伝統


また文中にて私は「漢字、縦書き、B5版などの伝統を守っていくべきである。」と書いていた。いずれも、電脳化の進んだ現代において、次第に廃れていった物である。しかし、他人に送る手紙は未だに縦書きが基本であるし、一部の人間に対しては旧字体を使用しているので、10年前の希望通りの人間になったともいえる。流石にB5版に関しては、使わなくなっている流れになっているので、なかなか使っていないが。

更に、文中において西暦と共に皇紀を併用していた。皇紀を使用しだしたのは、大学の仲間に影響されてからだと思っていたので、当時から皇紀を使用していたのは意外だった。2月11日に大学の同級生から、紀元節奉祝のメールが届く辺り、10年前と変わっていないどころか、むしろ重症化したかもしれない。

○10年後の自分


10年前、同級生にメッセージをお願いしていた。そちらは敢えて中身を確認せずに封筒に同封していた。だから、10年後に初めて同級生からのメッセージを読んだことになる。

同級生からのメッセージでは、「10年後、医者か研究者になっていそう」と書いている人が何人もいた。10年前からそんな風に思われていたというのは意外だった。私自身、当時から医者になることは夢見ていたのだが、自分の学力から、現役で医学部に入ることは端から諦め、(こんなに上手く行く訳無いよね)と思って、誰にも伝えずにいた。そこで、卒業文集での「10年後の自分」では、大嘘として、根田君と一緒に国会議員になっている、と書いた。

10年前の手紙について、他の同級生にも届いたようで、何人かその報告をしていた。ある人は
「自分の一人称を『俺』と書いていた。恥ずかしい。」
とmixiの日記に書いていた。

私はというと、文字についても、多少稚拙であるが現在の字体を想像させるようなものであったし、文章の中身も別に恥ずかしいものではなかった。一方で、だからこそ「恥ずかしい」という気持ちになるのだ。私は10年後の自分も、国会議員になる、といった茶化したものを書いていたし、自分宛の手紙も、10年後の自分の抱負を書かずに、日本の将来といった漠然としたものであった。私は10年前から既に、失敗を恐れ、夢を語ることを恐れていたのだった。

先日「ズッコケ三人組の未来報告」を読んだ。小学6年生の主人公達が20年後の未来予想図を描きタイムカプセルに入れ、20年後にそのタイムカプセルを開ける話である。。巻末には香山リカのコメントが書かれていた。
「昔の夢は、それが実現しなくても、当時の夢を抱きつつ生きてきた人生を何ら恥ずべきではない」
全く同感だと思う。

これからは失敗を恐れずに自分の未来予想図を描き進んでいきたい、と思った。
10年前からの手紙1
10年前からの手紙2
10年前からの手紙3
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大学からの友達として

8年前を思い返し、変わった所、変わらない所、どちらもあるなと思います。

ヒトは変化があったつもりでも、対して変化のないものなのかもしれませんね。
約20万年前から現代人の姿があまり変わらないように・・・

10年×365日

>廃車さん
大学に入ってからも、既に8年が経ったかと思うと、本当に早いです。
10年後の自分というと、今の自分と遠い所にある人間、という気がしますが、実際には今日の自分を10年×365日積み重ねただけですからね。あまり人間の本質は変わらないかもしれません。
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砧音月

著者・管理人:砧音月
東北の病院に就業中
2008年卒業

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